先に言います、怖い話です 「使ってはいけないお金(借金)でのギャンブル」について気付いた怖い話。
希望として伝えておきたいのは、依存から離れるキッカケは「ネガティブな感情」が必要になるという事。 このままじゃ良くないと思っていても、恐れがないと動き出せない人は多い。 動き出すキッカケに少しでもなればと祈りつつ。
違和感
私が経験したのはパチンコ、パチスロで勝っていた日の話 通常時に「早く当たってくれ」 大当りして「やった!」 大当り中に「続いてくれ」 大当り終了後に「まあ十分だろう」 こう思っていました。読んでいる方も共感して頂けると思います。
最初に気付いた違和感は 「本当に喜んでいるのか?満足しているのか?」 スリップした時に感じたのは快感や満足では無かった。確かに嬉しい気持ちはあった気はするけれどスッキリはしていない。 どちらかといえば…「もっと」
気付き
「早く当たってくれ」(不満、不安) 「やった!」(喜び) 「もっと続いてくれ」(不満、不安) 「もっと続いて欲しかった」(不満) 当たった一瞬を除いてずっと不満と不安が続いていたんです。当たっているのに、勝っているのに。
じゃあ一体何に喜びを感じたのか? 一瞬の快感?なら当たり続けているのになぜ不満を感じるんだ? お金が手に入るから?当たり続けても満たされないのに? じゃあどうすれば満たされるのか? 万発?5万発?コンプリート? 5千枚?万枚?コンプリート?
最悪の仮定
「早く楽になりたい」(不満、不安) 「楽になれるかもしれない」(希望) 「もっと楽になりたい」(不満、不安) 「もっと楽になりたかった」(不満、不安)
求めていたのは喜びや快感では無く 「楽になること」 手に入れていたのは「楽になれるかもしれない希望」と「叶わない飢え」
だから勝っていてもそれ以上を求めてしまう。 今、勝てる限界(例えば10000発とか)に届いたから良し、と納得している振りをしても満たされない。
使ってはいけないお金を取り戻せた(安心) けれど借金は消えない、たとえ全額返済しても心が満たされないからまた賭けを続けてしまう。
自殺志願者のように「楽になりたい」と思いながら、じわじわと自らの首を絞める。 「依存症は緩やかな自殺」という言葉を聞いて、ずっと「楽になりたくてギャンブルをするから」だと思っていた。 実際は「やる前も後も、賭けている時もずっと、楽になりたいと思っているから」だった。
仮定と希望
…という仮定の話です。あくまで私がしっくりきた、というだけの話です。もちろん 当たった!もっと続け!くっそー笑!(喜び) という人も居ると思います。
ただ、ギャンブルをする理由が「楽しむため」なのか「楽になるため」なのかを考える価値はあると思います。 あなたがギャンブルをしたい理由は、楽になるため、苦しさを消すため、では…ありませんよね?
でもこの気持ちに気付いた事で希望も見つかりました。
「ギャンブルでは楽になれない事がハッキリした」 借金をするまでのめり込んでも、不満を繰り返すだけで満たされない。満たされないから繰り返す。「あの時の」楽しかった思い出を追いかけているだけ。 そしてお金も満たされない、ただの「軍資金」になるだけだから。必ず勝ち続けるなら、いつか満たされるのかもしれません。
まとめ
この話に共感をする人は少ないに越したことは無い。けれどもし心に届いて納得出来たなら、ギャンブルを諦める事ができると思います。
諦めるという事は、納得するという事 納得する事は、今を受け入れるという事だから
これは無理だな、と諦めて先へ進みましょう

